● 社会人
期待に胸を膨らませてわくわくドキドキしながら高松駅を出発。京都に到着しすぐに会社の上司の迎えがありそのまま営業所の社員寮へ直行。ここからいよいよ社会人としてスタートを切ることになりました。新人は、先輩指導員に付いて約半年間いろいろ教わります。そして独り立ちでルートを回ります。しかし、私は非常に覚えが悪く、ひとつひとつの仕事が遅くいつになれば仕事が終わるの?という感じではありましたが、なんとか独り立ちの許可が下り現場を任されます。が、しかしきちんと仕事をこなすことができず、迷惑ばかりかける毎日。見かねた先輩指導員は、もう一度私を再指導の必要があると1ヶ月ほど同伴してくださいました。(当時の、先輩指導員そして所長さん大変ご迷惑をおかけしました。)
こんな感じで社会人1年目がスタートし、ばたばたの毎日でしたがなんとか仕事をこなしていくことができました。大してよい成績を上げるセールスマンではありませんでしたが、唯一自信につながったことは、商品納品率が関西圏内の営業所の中で2位になったことです。
1位でないところが自分らしいといえば自分らしいのですが、この時は上司をはじめ先輩社員や同僚から賞賛の声を頂き本当にうれしかった。
このまま順調に進んでいくところでしたが、いろいろな事情あって退職し実家に戻ることに。それから、地元で再就職。ちょっとした役を頂きながら、各店舗を回りいろいろ経験することができましたが、ノルマ漬けの業務に参ってしまい挫折。それから、自分はいったい何がしたいんだろう?何が向いているんだろう?と自問自答を繰り返す日々が続きました。
しかし、頭で考えてもよく分からないので、とにかく何かやっていこうと、そこからアルバイトの連続です。居酒屋→トラック運送→引越し屋→ガードマン→ホテル宴会、結婚式→衣料品ルートセールス、と色々な職種を経験してきましたが、いろんな業種を知ることができ、人との出会いもあり、よい経験はできましたが、自分が見つけたかった“自分に向いているものはコレ!”というものを見つけることはできませんでした。
実際のところ、自分に向いているものはコレ!というのはそうなかなか見つからないものです。この時の私は、自分に向いている仕事=自分に合わせてくれる仕事という感覚であったように思います。また、何をもって向いている仕事としているのか、その基準はなんなのか、そこもかなり不透明でした。 でも、この当時はそんなことは分かりません。
普通に日々を過ごすことはできていましたが、何か胸の奥にぽっかり穴が開いている感じで、どこかしっくりしない自分がいました。そんなあるとき、お世話になっていた先輩と久しぶりに飲む機会があり、近況について話し合っていたときです、「お前は、いつまで今のままでおるんや、もっとお前にできることがあるやろ!」と一喝。と言われてもピンときません。すると先輩は、「お前はやさしいから福祉関係とかどうや。なんかおうとる感じがするで。」
この言葉を聞いたとき、福祉関係のことは今までに一度も考えたことがなかったので、まったくピンともスンともきませんでした。たぶん、先輩もお酒の勢いで言ったんだろうというくらいにしか捉えていませんでした。
そして次の日に、参考に福祉関係の情報だけは見てみようかと本を読んだり、福祉センターを回ったりしてみました。すると、なぜか妙に気になり始め、もしかすると・・・と思うようになってきて、さらに色んな情報を集めるようになりました。
情報を集めるだけではなく、一度どんなものか体験してみないと分からないので、体験実習に申込み複数の施設を訪問しました。
私が実習先に選んだのは、介護老人福祉施設、身体障害者療護施設で、どの現場も大変でした。でも、やってみたい!その気持ちが大きくなり、真剣に就職活動をはじめることにしました。まったく無資格ですから何かひとつ関係する資格を取得せねばと、ホームヘルパー2級を受講しながら就職活動をしました。自分の中では、すぐに採用されるだろうと根拠のない自信を持っていたのですが、現実はそう甘くはなく、なんと5社連続で不採用。
やっぱり未経験者は無理だなと半ばあきらめかけ最後の1社の面接を受けました。
しかし、幾日経っても連絡がなくもうだめだなと次を探そうとしていた矢先、「プルルルルル」と1本の電話が。「遅くなりましたが、この度採用とさせて頂きますので・・・」と、
この時は、小学校のときの走り高飛びの選手に選ばれた時くらいうれしかった。
ここから、福祉の世界へ一歩を踏み出すことになりました。
私の就職先は、介護老人福祉施設(特別養護老人ホーム)で、ちょうどこの時介護保険制度がスタートした年でした。最初は、あまりにも覚えることが多くて、なかなか覚えられず苦労しましたが、どこかで楽しみながら取り組めている自分があり、つらいとかしんどいとかほとんど感じませんでした。何が楽しいかと言うと、入居されている高齢者の皆さんとのふれあいが大好きでそこに自分なりの楽しさを感じていたのだと思います。
さて、これからもっと現場でがんばっていくぞ!と思っていた矢先、生活相談員として事務所に配置換えとなり、内心「事務職なんてできん!パソコンなんて電源の入れ方もしらないし無理。」そう思いながらしぶしぶ事務所へ移りました。
事務所では、さらに覚えることがたくさんで、介護保険制度の深い部分をはじめ、人間が生きていく中で関わる様々な制度なども覚えなければならず頭の中はいっぱいいっぱいでした。幸い、先輩方、上司の助けを受けながら業務をこなすことはできましたが、私の場合、仕事を効率的に進める工夫や優先順位の付け方などがまったくなっておらず、いつもドタバタで仕事をしていました。このころ、初めて心身ともに大きなダメージを受けて、胃炎を患い数ヶ月つらい思いを経験しました。
この当時は特に不器用だったなと思います。ちょっと工夫すればいいことなのにと。そのときはそんなことを考える余裕も、冷静に現状を判断することもできなかったんです。
そして、3〜4年が経ち、この頃から高齢者ひとりひとりにもっとじっくり関わることができないだろうかと考えるようになりました。自分は直接何かの形で関わることをやりたいと言う思いが強くありました。そんなときに浮かんだキーワードは、”機能訓練(リハビリ)”でした。
こういった施設で機能訓練(リハビリ)を提供するには、看護士、柔道整復士、理学療法士、作業療法士、あんま・マッサージ師、鍼灸師といった国家資格が必要です。よし!それじゃあと進んでいきたいところでしたが、そう簡単にはいかずその方向を断念。 でも何かないかと色々探していたところ、整体師、カイロプラクティックという言葉に目が止まりました。
しかしながら、この民間資格では介護保険の制度上専門としての位置づけができないため、施設の中で具体的に機能することは難しいのです。
1年くらい経った頃でした、整体、カイロプラクティックの言葉が頭から離れず、どうしてもやりたいという気持ちが次第に強くなっていました。と同時に、“独立”という言葉が頭の中をよぎるようにもなりました。この思いはさらに大きくなり、独立するにはどうすればいい、独立するための計画プランを立てるにはといった流れにシフトしていきました。
何を学びたい、どこで学びたい、何をしていきたい、いつから学びたい、退職予定日はいつ?独立予定日はいつ?スクールへ行くための予算は・・・etc
この時初めて、計画を立てるということに熱心になり、今までの中で一番真剣にこれからのことを考えたのを覚えています。なぜかというと、今度は自分ひとりだけではなく、家族があるのでそう関単には勝手自由に事を進めるわけにはいかないですから、ない頭を絞って考えました。
何件も何件も整体やカイロプラクティックの学校の資料を読み、訪ねては体験し色々検討した結果、東京の青山にある小さな整体スクール 指針コンディションに出会いました。
今扱っている整体技術の土台はこのスクールで学びました。たった一人で全国から生徒が来るほどの整体スクールを運営され、本音で語る師匠から多くの学びを頂きました。
もし、私に「整体を学びたいのですがどこかご紹介ください」といわれると、このスクールを一番に勧めます。
さて、入学手続きを済ませ受講となるのですが、当時はまだ福祉の仕事をしながら合間の連休を使い、東京まで泊り込みで学びに行っていましたので、この時は心身ともに疲れてはいたものの、先の目標がありましたからやりきることができました。全国から、同じような志を持った生徒と学ぶというすばらしい環境の下で受講できたことは本当によい経験になりました。ほとんどの人が独立志向で、今後のプランを口々に語っていました。夜遅くまで生徒同士語り合ったことが懐かしいです。
学びの当初は、専門用語になかなかついていけず、特に実技では、慣れない姿勢と指の使い方に苦労しました。指は痛いし、足はだるいしあちこちが筋肉痛になっていました。
ドンくさいながらもなんとか最後の学科を終了し、いよいよ修了試験。珍しく一発で合格し無事卒業。ほんとは、だめだしをいっぱいもらって不合格と思っていたのですが、おおめに見てくれたのでしょう。師匠は、はっきりものを言う人で、よく皆にこういってました、
「ほんとに独立したいんですか、やめたほうがいいですよ!甘くないですよ!」今思えば、その言葉を投げかけながら、先で独立したいという生徒の志の奥を見ていたのかもしれません。
そして、スクールを後にし、退職をし、いよいよ次のステージへと進むわけです。
この次は、独立に向けてからのことから、独立をしてからのことをご紹介していきます。
今まで体験してきた失敗談や成功談もお伝えしています。ご興味のある方は、引き続きご覧ください。
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